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東京地方裁判所 平成2年(ワ)7797号 決定

主文

証人甲野一郎が平成三年一二月三日の証拠調期日において、別紙尋問事項四ないし二二についてした証言拒絶は理由がない。

手続費用は証人甲野一郎の負担とする。

理由

第一  経緯

一  原告は亡小林誠吉(以下「誠吉」という。)の養子であり、戸籍上他に相続人はいない。被告は誠吉の弟である。証人甲野一郎(以下「甲野公証人」という。)は、平成二年三月五日、誠吉の嘱託を受け、文京公証役場において公正証書遺言を作成した東京法務局所属の公証人である。

二  誠吉は、昭和六一年六月九日、所有不動産等一切の財産を処分して原告及び被告らに遺贈、分配する旨の公正証書による遺言をし(以下「第一遺言」という。)、平成元年一〇月二三日、所有する不動産の一部(東松山市所在の土地建物、以下「本件不動産」という。)を被告に相続させる旨の公正証書による遺言をした(以下「第二遺言」という)。誠吉は、平成二年三月五日、遺言書作成のため、当時入院中の東京都立駒込病院から外出許可を受け、文京公証役場を訪れ、第一、第二遺言を取消し、本件不動産等を原告に相続させる旨の公正証書による遺言をした(以下「本件遺言」という)。その遺書を記載した公正証書によれば、誠吉は、甲野公証人の面前で遺言の趣旨を口述して、本件遺言にかかる遺言書が作成された。

三  誠吉は、平成元年一一月二〇日、右下腹部腫瘍のため、東京都立駒込病院に入院し、同年一二月一三日開腹手術により結腸右半切除手術を受けた。病理診断の結果、悪性リンパ腫と判明し、腹腔内、肝周辺に転移していたため、引き続き同病院に入院して化学療法が施されたが、結局誠吉は平成二年六月四日死亡した。

四  被告は、平成二年六月一四日、第二遺言に基づき本件不動産について相続を原因とする所有権移転登記を経由した。

そこで、原告は、本訴を提起して右登記の抹消登記手続きを求めた。これに対して被告は、本件遺言は、誠吉の意識が混濁しているときに、あるいは意識が回復したときでも幻覚状態にあり、到底遺言者の真意を口述できない状態のもとで作成されたから無効であるとして争い、かつ反訴を提起して、本件遺言が無効であることの確認を求めた。

五  本件の争点は、本件遺言作成当時、誠吉に意思能力があったかどうかにある。

当裁判所は、被告の申請に基づき、誠吉が入院していた東京都立駒込病院に対して、誠吉入院中の平成二年三月一日から同月一〇日までの間のカルテ、レントゲン写真及び看護日誌等の送付嘱託をしたところ、同病院からは、レントゲンフィルムを除く一件書類の所在が不明であるとして、結局その送付を受けることができず、誠吉の入院当時の病状を示す最も有力な証拠を得ることができなかった。

そこで、当裁判所は、被告の申請に基づき、本件遺言作成に立ち会った二名の証人(高橋武及び佐伯利明)の尋問を行ったが、それら二名は、文京公証役場近くで開業する司法書士及びその事務員で、いずれも日頃同役場を通じて遺言公証証書作成にあたっての立会い証人となることを頼まれることが多く、本件遺言の立会いについても同様で、誠吉とはそれまでに面識もなく、その作成当時の様子ややりとりについての具体的な記憶はないし、格別変わったことがあったという記憶もないと証言するにとどまった。

次に当裁判所は原告の申請に基づき、原告本人尋問を行った。原告は、本件遺言作成にあたり、誠吉に付き添った者であり、誠吉の意思は清明であり、自らの意思に基づいて本件遺言を作成したと述べた。

六  当裁判所は、被告の申請に基づき、平成三年一〇月一日の期日に甲野公証人を証人として、別紙尋問事項について尋問することを決定し、同人を呼び出した。ところが甲野公証人は、当裁判所に対し、公証人法四条により取扱事件について漏泄禁止義務があり、法廷証言も例外ではないとの理由で出廷しない旨の通知をし、右期日に出廷しなかった。そこで、当裁判所はあらためて、平成三年一二月三日の期日に甲野公証人を尋問することを決定して、呼出状を発した。これに対して甲野公証人は、当裁判所に対して、要旨以下のような「証言拒否等に関する疎明」と題する平成三年一〇月二一日付書面を提出した(以下「疎明書」という)。

1  昭和四一年八月八日付法務省の通達(民甲一九六二民事局長回答)によれば、公証人は取り扱った事件について漏泄禁止義務がある。但し嘱託人が同意したときはこの限りではないが、嘱託人が死亡した場合は公証人の守秘義務は免除されない。従って公証人が裁判所において証言を求められた場合は、民事訴訟法二八一条一項により証言を拒否することができる。

平成二年二月二六日付法務省の通達(民一・五七五民事局第一課長回答)によれば、嘱託人が死亡した場合でも、その相続人全員の同意があるときは、公証人は裁判所において証言を求められた場合に、証言を拒否することはできず、証言義務が生ずるとして、先の通達の一部を変更した。

2  誠吉の相続人である原告の代理人に照会したところ、同代理人は口頭弁論期日において、甲野公証人の証人尋問は必要性がないとしてこれに反対したということであるから、相続人は甲野公証人が裁判所で証言することに同意していないと認めるべきである。そうすると法務省の前記通達によっても、公証人は証言拒絶ができる。また、裁判所に対して期日前に証言拒否権があると申し出、かつこれを疎明したときは、不出頭について正当事由があると解されている。

七  甲野公証人は、平成三年一二月三日の証拠調べ期日に出頭し、宣誓のうえ、別紙尋問事項一ないし三について証言をしたが、同四以下の尋問事項については、公正証書作成の経過に関する事項と考えられるから、疎明書記載の理由により証言を拒絶すると述べた。これに対し、証人尋問を申請した被告代理人は証人の証言を求めると述べ、原告代理人は、証人尋問の必要性がなく、公証人の守秘義務免除の同意をしないと述べた。

第二  当裁判所の判断

一  公証人法四条は「公証人ハ法律ニ別段ノ定アル場合ヲ除クノ外其ノ取扱ヒタル事件ヲ漏泄スルコトヲ得ス但シ嘱託人ノ同意ヲ得タルトキハ此ノ限ニ在ラス」と規定し、嘱託人の同意を解除条件として取扱事件の漏泄を一般に禁じている。その違反に対しては、職務上の義務違反として懲戒事由となり(公証人法七九条)、また秘密漏泄罪(刑法一三四条)に問われることもある。

公証人は、当事者その他の関係人の嘱託により法律行為その他私権に関する事実について公正証書を作成するなどの権限を有する(公証人法一条)ため、職務の性質上、当然に嘱託人からその秘密や信用等に属する事柄を始めとする様々な事実を聴取するなどしてこれを知りうる立場にある。そこで公証人法は、公証人に対し、それら一切の事実について守秘義務を課すことにより、嘱託人が安んじて公証人に対して自らの秘密その他他人に開示されたくないと思うような事柄等をすべて打ち明けることができるようにしたもので、その趣旨は、嘱託人の同意を解除条件としていることからも明らかなように、専ら嘱託人の公証人、ひいては公証制度そのものに対する信頼関係の保護を目的としたものであると解される。公証人法四条が漏泄を禁ずる対象について、「其ノ取扱ヒタル事件」という広範な文言を用いているのも、実質的な秘密に属する事実に限定することなく、一般に嘱託人が開示を欲しない全ての未開示事実を秘匿すべきことを命じたものと理解される。

二  民事訴訟法二八一条一項二号は、「医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士(外国法事務弁護士ヲ含ム)、弁理士、弁護人、公証人、宗教又ハ祀ノ職ニ在ル者又ハ此等ノ職ニ在リタル者カ職務上知リタル事実ニシテ黙秘スヘキモノニ付訊問ヲ受クルトキ」には証言を拒むことができると規定している。この規定は、職務の性質上、依頼者などからその秘密、健康、信用、恥辱、犯罪、信仰その他の私的事柄に関わる事実を打ち明けられ、あるいは職務遂行過程においてこれらの事実を知りうる立場にある者について、その依頼者等から与えられる個人的信頼、ひいてはその職種全体に対する信頼を保護するために、証人一般に課せられる証言義務の全部又は一部を免除したものである。

一方民事訴訟制度は、私的当事者間における法律上の紛争について、当事者対立構造のもとに、それぞれの主張立証の機会を保証し、これを尽くす過程を経て、真実の解明と私的権利の擁護及び実現を図ることを目的として設けられた公的制度であり、その制度目的自体から、公正な裁判の実現が強く要請されている。そして民事訴訟制度のもとで、一般にひろく証人に証言義務が課せられ、理由のない証言拒絶に対しては制裁が課せられてさえいる(民事訴訟法二八四条、二七七条、二七七条の二)のもこのような公正な裁判の実現を企図する公的制度目的に由来すると解される。

したがってこのような目的を有する訴訟制度上の証言義務の要請のもとにおいては、その証人について守秘義務があることから、当然に一切の事実について証言を拒絶することができると解することはできず、証人の守秘義務については自ずから制約があると言うべきである。結局当該事案において公正な裁判を実現する上で証人の具体的証言を得る必要性と、証言拒絶によって保護される秘密の内容及び性質その他その開示によって損なわれる利益の性質及びその程度等を相関的に考慮した利益考量に基づき、証言拒絶権の範囲が画定されるものと解するのが相当である。民事訴訟法が、証言拒絶の対象をひろく職務上知った事実とせずに、そのうち「黙秘スヘキモノ」に限定して証言拒絶権を肯認したのもこの理に出たものと解される。

三  そこで本件の証言拒絶について検討する。

本件の争点は、本件遺言がされた当時の誠吉の意思能力の有無である。その判断が直ちに本件遺言の効力を左右し、誠吉の遺産の帰属を決定するという重大な結果を招来する。当時誠吉は病院に入院していたから、そのカルテや看護記録があれば、その意思能力を推認する有力な資料となるが、理由は詳らかではないがその所在が不明であり、病院関係からこの点についての有力な資料を得ることは困難と思われる。他方本件遺言に際して証人として立ち会った者二名は、誠吉と個人的に何の関わりもない者であるため、本件遺言当時の誠吉の言動について具体的な記憶を有しておらず、その意思能力を判断する資料として十分な証言を得ることはできない。本件遺言に際して誠吉に付き添った原告の供述は得られたものの、遺言の有効無効について直接の利害関係を有する当事者本人の供述であるから、これをもって十分な証拠が揃ったとは言いがたく、対立当事者である被告側としては、その弾劾のためにも、他の客観的証人の証言を希求するのは当然の成り行きと言える。

このような状況のもので、本件遺言作成に立ち会った最後の一人である甲野公証人の証言が求められた。公証人は、公正証書遺言を作成するに際しては、それが私法上の法律行為を包含するから、職務上嘱託人の意思能力の有無には当然注意を払い、これに疑いを抱いた場合には漫然とこれを放置することは許されないはずである。したがって、甲野公証人は、当時入院中の身で外出許可を得て公証役場に出頭した誠吉の言動には充分な注意を払ったであろうことは想像に難くなく、単なる立会い証人などよりも、一層注意深く誠吉を観察し、誠吉について遺言作成能力ありと判断したと考えられる。そうすると、甲野公証人は本件争点について、きわめて重要な知識を有していると推認され、その知識を証拠として引き出し、あるいはその判断を弾劾する上で別紙尋問事項四以下の事項はいずれも必要な事実であり、他にこれらの事実を的確に証言することのできる証人その他これに代替しうる証拠方法は見当たらない。

他方甲野公証人が秘匿しようとしている事実は、遺言作成という人の最後の意思決定に関する遺言者の言動及びこれに関連する一切の事実で、本人においてもたやすく一般に開示されることはないと期待するような内容、性質のものであり、客観的にみてもそのような期待には十分な合理性が認められるから、通常極めて高い保護価値を備えていると考えられる。

しかし本件訴訟は遺言者である誠吉の最後の意思表示の法的効力そのものが争われ、そこで表明されたと記載されている本人の意思が真に本人の意思であるかどうか、また意思表示として有効であるかどうかが問われているのである。このように、自分の財産の帰属に関する最終意思の効力それ自体を巡る裁判において、他に代替しうる有力な証拠のない状況のもとで、遺言作成に関する自らの私的事実を最良証拠として開示することが求められた場合に、なおそれを秘密にして、その限度で不十分な証拠資料だけで審理を終え、終局判決によって権利関係を確定するか、或いはその限度で秘密が暴露されてでも、これを証拠資料に追加し、これに基づいて自らの最終意思が正しく認定実現される可能性を高めるかの二者択一の選択を迫られたとき、遺言者の合理的意思を忖度すれば、他に特別の理由がないかぎり、秘密の開示を肯定すると考えられる。

結局のところ、本件訴訟のもとでは、開示の求められている事実は、その証拠調べ手続き内での開示を拒絶してまで秘密として保護されることが一般に期待されるような内容、性質の事実であるとは言えない。そしてこのことは、誠吉の相続人である原告において、守秘義務の免除について不同意の意思を表明していることによっても左右されないと言うべきである。

以上の検討によれば、本件の争点について他に代替しえない重要な知識を有すると考えられる甲野公証人に対して、別紙尋問事項四以下の事項について証言を求める必要性は極めて高く、他方でその証言拒絶によって保護される秘密が上記のような内容及び性質であることに照らすと、それらの事項については民事訴訟法二八一条一項二号にいう「黙秘スヘキモノ」に該当するとは言えない。したがって、特に本件争点に関わりのない事項に及ばない限り、甲野公証人において、右事項について、疎明書記載の理由だけでは、証言を拒絶することができない。

四  よって、甲野公証人のした証言拒絶はいずれも理由がないので、手続き費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 佐藤陽一)

尋問事項

一 証人は、東京法務局所属の公証人ですか。

二 いつから、どこの公証役場で公証人として執務していますか。

三 亡小林誠吉(最後の住所・東京都文京区千駄木三丁目四五番六号)から依頼を受けて遺言公正証書(平成二年第五六二号)を作成したことがありますね。

四 右依頼は、最初いつ、誰からどういう形で(手紙とか電話とか)相談を受けたのですか。

五 右相談に対して証人は、どのような回答又は指示をしましたか。

六 右回答又は指示に基づき、相談者が文京公証役場を訪れたことがありますか。

七 それはいつですか。

八 その際は、誰と誰が何をもってきましたか。

九 その時の依頼の内容は、どういう内容でしたか。

その依頼を聞くに当たっては、誰からどういう形で(誰と誰が机の前に座っていたとか)聴取しましたか。

一〇 遺言者のその時の態度は、どうでしたか。

顔色、話し方、動作等で、特に何か変わった状態であったことはありませんか。

補聴器はつけていましたか。

遺言者は、証人の話を聞くに当たり、特に聞きにくいような動作、態度はありませんでしたか。

一一 その後、遺言書作成までに、この件で誰かがきたとか、電話があったとかいうことはありましたか。

もし、あればその内容を述べて下さい。

一二 平成二年三月五日遺言作成の日、遺言者は貴役場に何時頃誰ときましたか。

一三 証人二人については、誰が、いつ、どのように手配しましたか。

一四 遺言書の作成は、どのように行われましたか。

誰がどのように座ったか、遺言者に付き添ってきた人はどこに座っていたか等詳細に述べてください。

一五 遺言者に証人はどのように述べましたか。

一六 遺言者はどのように発言しましたか。

一七 そのやりとりの詳細を述べてください。

一八 その間の遺言者の身体的態度に何か変わりはありませんでしたか。

声の大きさ、顔色、その他の態度、補聴器をつけていたかどうか等詳細に述べて下さい。

一九 署名に当たっては、遺言者はちゃんと署名できましたか。

二〇 費用は誰がどのようにして払いましたか。

二一 帰る際、特に何か変わったことはありましたか。

二二 その他関連事項一切を述べてください。

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